NHK紅白歌合戦に35回出場し、昭和を代表する歌手として親しまれてきた島倉千代子さん。
いつも朗らかで面倒見の良い人柄は、ファンを惹きつける魅力でした。
歌手として大成功を収めた島倉さんでしたが、そのプライベートは波乱万丈だったとか。
1回の結婚歴のほかに、内縁の夫もいたという人生の裏には、ダメンズと莫大な借金がありました。
今日ここでは、島倉千代子さんの代表曲『人生いろいろ』を地で行くような、壮絶な生涯にまつわる
- 元旦那は野球選手・藤本勝巳で離婚理由は
- 元夫の再婚した現在は
- 子供3人を中絶した過去が切ない
- 内縁の夫もいた結婚歴と莫大な借金
- 最期に発覚した遺言状と遺産
について詳しく紹介します。ぜひ最後までご覧ください。
【結婚歴1回】島倉千代子の元夫は野球選手・藤本勝巳!
島倉千代子さんが生涯で正式に結婚(入籍)した男性は1人です。
島倉さんは人気絶頂だった1963年、阪神タイガースの4番打者・藤本勝巳さんと結婚しました。

- 名前:藤本勝巳(ふじもと・かつみ)
- 生年月日:1937年8月8日
- 出身地:和歌山県日高郡みなべ町
- 身長:175㎝
- 所属球団:阪神タイガース
- ポジション:一塁手、外野手
当時のメディアで「歌姫と4番打者の結婚」と大々的に報道された二人の結婚。
ただ、入団当時の藤本さんは無名の選手。ドラフト制があれば、相当下位だったと言われており、努力でスターへの階段を上ったようです。
結婚をきっかけに、歌手活動を休止した島倉さん。家族の反対を押し切っての結婚でした。
島倉千代子と藤本勝巳の馴れ初めは
元夫である藤本勝巳さんとの馴れ初めは、藤本さんの猛アプローチから始まります。
テレビで島倉千代子さんのビジュアルに惚れた藤本さんが、新聞記者から島倉の自宅電話番号をキャッチ。直接電話をかけてデートに誘ったのが交際のきっかけでした。
お二人は結婚後、兵庫県西二宮市に豪邸を構え、藤本さんの母と妹、島倉さんの付き人と運転手の6人で同居していた時期もあったようです。

順風満帆に見えた二人の結婚生活でしたが、わずか4年半で離婚。
その背景にあるのは、元夫・藤本さんの借金だったといいます。
島倉千代子と元旦那の離婚理由は6,000万円の借金

島倉千代子さんの1人目の夫である藤本勝巳さんは、1967年にプロ野球から引退しました。
引退後の翌年となる1968年1月、大阪市心斎橋にクラブ「藤」を開店。
この時の事業の失敗で、借金は6000万円(現在の価値で数億円)まで膨れ上がっていたそうです。
島倉さんは借金を返済するため、歌手活動を再開したものの、この借金が原因で離婚に至ったとされています。
クラブの開店からわずか4か月後に離婚した二人。
家族の反対を押し切って結婚した島倉千代子さんは、実家に戻ることもできなかったといい、自分だけの戸籍を作りました。
島倉千代子の元夫・藤本勝巳の現在は?
島倉千代子さんの元夫である藤本勝巳さんは、離婚から約2年後の1970年11月に佳代子夫人と再婚したそうです。
再婚の翌としとなる1971年9月、ご夫妻はスナック「ジャガー」をオープンしました。
再婚した藤本さんでしたが、お子さんの有無や夫婦仲の詳細は明らかになっていません。
ご存命であれば、2026年5月現在は88歳の藤本勝巳さん。一部では「すでに亡くなっている」といった情報もありました。
島倉千代子の子供3人を中絶した過去が切ない

島倉千代子さんの人生を語る上で、最も切なく、生涯抱え続けた痛みが「3度の中絶」です。
実は、島倉さんは、元夫である藤本勝巳さんと結婚する前に1度、そして結婚後に2度、藤本さんのお子さんを身ごもっています。
しかし、3人の子供すべてを中絶するという苦渋の決断を下しました。
昭和を代表するスターとして絶頂期にいた島倉さんが、母になる夢を諦めた背景には、逃れられない事情があったといいます。
- 島倉千代子という看板を背負い、休むことが許されない過密スケジュール。
- 元夫・藤本勝巳さんが作った数千万円の借金を返済するため。
そんな極限状態にいた島倉さんは、お子さんを諦めたそうです。
生まれなかった子への愛
島倉千代子さんは後年、この3人の子供たちを合わせて「忍(しのぶ)」と名付けます。
そして、その名を刻んだ小さな地蔵を肌身離さず持ち歩き、まるで我が子を育てるように深い愛情を注ぎ続けていたそうです。
島倉千代子さんは2013年11月8日、75歳でこの世を去りました。
現在、島倉さんが眠る墓碑には、「千代子」の名と並んで「忍」の名がしっかりと刻まれています。
天国で再会したお子さんたちを、思い切り抱きしめているのではないでしょうか。
島倉千代子の内縁の夫は眼科医!

元夫・藤本勝巳さんとの離婚後、島倉千代子さんは生涯の伴侶とも呼べる男性と出会います。
その相手は、自身の「失明の危機」を救ってくれた担当の眼科医でした。
二人は正式な入籍こそしなかったものの、公私ともに支え合う「内縁の夫」とも言える深い関係を築いたそうです。
島倉さんは歌手デビュー後、観客が投げたテープの芯が目に当たるという不慮の事故に見舞われ、失明寸前の重傷を負ったことがありました。
その際、懸命な治療で島倉さんの光を取り戻したのが、内縁の夫である眼科医。
自分を絶望から救い出してくれた「恩人」に対し、島倉さんは絶対的な信頼を寄せていたといいます。
しかし、その深い信頼が、島倉さんの借金地獄の始まりでした。
内縁の夫が抱えた莫大な借金
島倉千代子さんの「内縁の夫」と称された医師。本業である眼科医のほかに、不動産事業という副業に手を出したものの、次第に行き詰っていたようです。
島倉さんは「恩人のお願いだから」と、断ることなく手形の「裏書き」をしてしまいます。
さらに、この男性に『実印』まで渡してしまった島倉さんは、勝手に連帯保証人にされていたんだとか。
しかし、事業に失敗した眼科医が夜逃げをしたことで、全責任が島倉さんにのしかかりました。
その負債額は、なんと4億3,000万円だったといいます。
途方に暮れている島倉さんに追い打ちをかける出来事が発覚!
島倉さんが知らない間に、マネージャーや全く面識のない赤の他人といった、複数名の保証人にされていたというのです。
法外な利息で、みるみる膨れ上がる借金は、13億円や16億円にまで膨れ上がったと報じられていました。
こんなひどい目に遭いながらも、島倉さんは眼科医のことを悪く言うことはなかったそうです。
そんな、莫大な借金を背負う島倉さんの前に現れたのが、占術家として有名な細木数子さんでした。
二人の関係については、こちらの記事で詳しくまとめています↓

島倉千代子が最期に残した遺言状と遺産

波乱万丈な人生を歩んだ島倉千代子さんは、2013年11月、多くのファンに惜しまれながら75歳でこの世を去りました。
借金に追われ、一時は自分の実印さえ持てなかった島倉さんが、最期に遺した「遺言状」には、驚くほど潔く、愛に満ちた内容が記されていました。
【遺産】4人の兄弟へ一律300万円
島倉千代子さんの実弟・征夫氏のもとに届いた遺言状には、「これからも仲良くやってください」という優しい言葉と共に、4人の兄弟へ一律平等に300万円ずつ遺すと記されていました。
家族の反対を押し切って結婚し、一度は実家との縁が遠のいた時期もありましたが、最期まで兄弟の絆を大切に想っていた島倉さんの温かさが伝わります。
2億円のマンションを「東京共済病院」へ遺贈
最も世間を驚かせたのが、東京・渋谷区神宮前にある自宅マンションの遺贈でした。
- 遺贈先:国家公務員共済組合連合会(東京共済病院の所属先)
- 資産価値:約193平方メートルの広さを誇り、時価約2億円相当
島倉千代子さんは1993年に乳がんの手術を受け、最期を迎えるまでお世話になった病院に対し、「感謝の印」として贈ることを決めていたようです。
かつて「眼科医」という恩師に裏切られ、人生を狂わされた島倉さん。
しかし、最期に選んだのは、自分を救ってくれた「医療」への無償の恩返しでした。
孤独ではなかった最期
私生活では、医師との破局後も何人かの男性との出会いがありましたが、残念ながら実を結ぶことはありませんでした。
実の家族こそそばにいなかったものの、2013年11月8日、島倉千代子さんは女性マネージャーや親しい知人に見守られながら、静かに息を引き取ったといいます。
遺体は、島倉さんが公私ともに絶大な信頼を寄せ、あらゆる相談をしていた住職のいる都内の寺院に安置されました。
20億円近い借金を自力で完済し、自分の資産を社会のために役立てる。これほど「きれいな幕引き」を演じられるスターは、後にも先にも彼女しかいないでしょう。
島倉千代子さんのヒット曲『人生いろいろ』のフレーズ
自身の過去の男性遍歴を物語っているように感じますね。
島倉千代子の元夫と子供&借金人生【まとめ】
昭和を代表する歌姫・島倉千代子さんの華やかなステージの裏側には、想像を絶する「人生いろいろ」な苦難がありました。
今回ご紹介したエピソードを振り返ってみましょう。
- 元夫はプロ野球選手の藤本勝巳氏:「歌姫と4番打者」の結婚だったが、夫の事業失敗による6,000万円の借金と離婚を経験。
- 子供3人を中絶した過去:歌手としての責任と借金返済のため、母になる夢を断念。我が子に「忍(しのぶ)」と名付け、生涯供養し続けた。
- 内縁の夫(医師)による裏切り:命の恩人を信じて実印を託したが、夜逃げされ4億3,000万円(最終的に利息を含め10数億円)の負債を背負う。
- 驚異の完済と美しい最期:地道な営業活動で20億円近い借金を自力で完済。遺言により、2億円のマンション(遺産)を病院へ遺贈。
島倉さんは、どんなに裏切られても人を恨まず、最後まで「歌」と「恩返し」に生きた女性でした。


