横山裕【生い立ち壮絶】母親を癌で失い弟は施設送り!義父との確執・両親の離婚も詳しく

横山裕生い立ち壮絶アイキャッチ

アイドルグループ「SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)」のメンバー横山裕さん。

横山裕さんといえば、天然キャラでバラエティー番組にもよく登場する明るい人柄で知られています。

そんな横山裕さんですが、実は3歳の頃に両親が離婚。さらに母親は癌で逝去し、弟は施設送りになってしまった過去を持っています。

今日ここでは、横山裕さんの壮絶な生い立ちにまつわる

  • 母親は癌で他界
  • 弟は施設送り
  • 義父(継父)との確執が悲惨
  • 両親の離婚で生活は一変

について詳しく紹介します。ぜひ最後までご覧ください。

目次

横山裕の生い立ちが壮絶!

周囲を明るくする『ムードメーカー』といったイメージの横山裕さん。いつもニコニコしているその笑顔は、見ている人を幸せにしますよね。

しかし、そんな笑顔からは想像もできない、壮絶な過去を抱えているようです。

SUPER EIGHT横山裕さんの生い立ちを詳しく見ていきましょう。

横山裕が3歳のとき両親が離婚

横山裕さんは、裕福な家庭の一人っ子として生まれました。

幼いころは父親と母親に大切に育てられ、愛情あふれる家庭で育っていたようです。

しかし、横山裕さんの人生は、両親の離婚で一変しました。

横山さんが3歳の時に離婚した父と母。当時、車の中で「両親が別れ話をしていたことを今でも鮮明に覚えている」といいます。

親権を持った母親に引き取られた横山裕さんですが、別離した実父についての情報はほとんどありません。

横山裕は母親の再婚で祖父母に預けられる

横山さんが5歳の時に母親は別の男性と再婚。実は横山という苗字は、義父(継父)の姓だったそうです。

やがて、母親と再婚相手の間には2人の息子が誕生。横山さんにとっては『異父兄弟』にあたります。

横山裕さんだけ前夫との連れ子ということで、義父から邪魔者扱いされていた幼少期。そのため横山裕さんは一時的に、祖父母に預けられていた時期もあったようです。

横山さんと祖父母の暮らしは、小学校まで続いたとか。ただ、祖父が心臓の病気で亡くなってしまったため、横山裕さんも再び母のもとで暮らすことになりました。

横山裕は義父の暴力と怒号に耐える日々

母親・義父・2人の弟と暮らしていた団地を、横山裕さんは「奇妙な生活をしていた団地」と話しています。

横山さんと義父との関係は良くなく、義父からひどい暴力を受ける日々

母親が庇ってくれることもあったようですが、基本的には義父の虐待は、前夫の子供である横山さんに向けられていたようです。

2019年12月に放送されたNHK『令和家族 幸せを探す人たち』に出演した横山さんは、継父との生活を次のように回想。

突然「今日からお父さんと呼びなさい」って、(義父が)言ったのは覚えてますけど、衝撃だったんですよね。始めは全然言えなかった。

それでお父さんと言えなかったから、僕一回頭どつかれたんですよ、「早よ呼べ!」って言われて・・・

引用元:NHK『令和家族 幸せを探す人たち』

NHKの放送では語られませんでしたが、ラジオでは横山さんが義父に棒で殴られていたと明かされています。

再婚してしばらくは「幸せな様子」だった母親。しかし、途中からとても辛そうで、母は泣いてばかりいたそうです。

というのも、義父の怒号や暴力はエスカレートしていき、長男の横山さんのみならず、弟2人も暴力を振るわれていたとか。横山さんは、そんな弟たちを庇うこともありました。

母親・義父・2人の弟と暮らした団地生活は、かなり荒れていたようです。

横山裕は中卒で建設会社に就職・ジャニーズ活動開始

中学卒業と同時に建設会社に就職した横山裕さん。当時は「早く自立しなければ」という思いが強かったといいます。

そして、同時にジャニーズJr.のレッスンに通いはじめます。

実は、横山裕さんがジャニーズ事務所に入った理由は、中学3年生の時に母親が事務所に履歴書を送ったから。

本当は再婚相手と母親はうまくいっておらず、離婚して横山さんを守るためにも、お金が必要だったのかも知れませんね。

母親は仕事を掛け持ちし、横山さんは建設現場からジャニーズのレッスンや撮影現場に通っていたそうです。

同年代の他のJr.たちは、制服でレッスンに通っていたのですが、横山さんだけは仕事の作業着

そんな姿を見た事務所の人から「夢を売る仕事だから、その作業着はないだろう」と指摘されたといいます。

以降、駅で私服に着替えてから、事務所のレッスンに通っていたんだとか。20歳前後からようやく売れ始め、徐々にメディアの露出も増えていきました。

ちなみに、SUPER EIGHTメンバーの村上信五さんとは、当時から同期で大の仲良しだったそうです。

ジャニーズの活動で十分な収入が得られるようになり、横山さんは建設会社を辞めましたが、当時の彼の働きぶりは非常に評価されていました。

辞めることを告げに行った際には「お前が芸能界でアカンかったらいつでも戻って来いよ」と言われたとか。

努力していたでしょうし、横山裕さんの人柄もあったのかもしれません。

横山裕の母親が癌になり離婚、弟は施設送りに

仕事を掛け持ちしていた母親はその後、を患ってしまいました。

そしてこの頃に、母親と再婚相手の男性は離婚したそうです。

妻が癌になったタイミングで別れなくても…。と思ってしまいますよね。

2人の弟たちは母親が引き取りますが、養っていけないという金銭的な事情で、弟たちは一時『施設』に預けられたそうです。

横山裕さんにとっては父親違いの2人の弟。弟の名前や年齢については次のことが分かっています。

  • 6歳年下:勤(つとむ)さん
  • 8歳年下:充(みつる)さん

一時的とはいえ、施設に預けられた弟はとても辛そうな様子だったとか。ただ、年の離れた弟を育てていくのにも窮していたといいます。

当時の横山裕さんだけの収入で、母親の治療費と2人の弟の養育費を賄い、生活を続けていくのは限界があったのでしょう。

横山裕の母親が死去!泣きながら『オニギシ』を歌う

横山裕さんが関ジャニ∞としてデビューした後、2010年に母親が亡くなったそうです。

母親はスーパーに買い物へ行った際に突然倒れ、そのまま意識が戻る事もなく、亡くなってしまったといいます。

お母さまの死因は虚血性心疾患。当時、横山裕さんが29歳、母親はまだ50歳という若さでした。

実はこの時、横山裕さんはソロコンサートの真っ最中。

母親のことを考慮したスタッフは「コンサートの中止」も提案しましたが、横山さんはそれでは母親が悲しむからと、ソロコンを予定通り開催したそうです。

横山さんが作詞した『オニギシ』という曲は、“オカン”への思いを綴った曲で、横山さんのファンの間でも有名な曲。

そんな思い入れがある曲『オニギシ』を、母が亡くなったときもコンサートで歌いました。

母親を思いながら歌った横山裕さんは、途中から歌えなくなりステージで泣き崩れてしまったといいます。

横山裕の弟は記憶喪失!母親の死にショックを受けて

母親の突然死は、2人の弟のにも強い衝撃を与えました。

特に次男の勤さんは、母の死のショックからおよそ2年間『記憶喪失』になってしまったのです。

母親の死後、弟たちの面倒をみたのは長男である横山裕さんでした。生まれ育った大阪市に家を借り、兄弟3人で暮らし始めます。

記憶を失った次男のために、「楽しい思い出をいっぱい作らないとアカン」と思い、時間を見つけては一緒に旅行や買い物へ出かけたんだとか。

何度か旅行などを重ねていくうちに、弟さんは記憶が戻ったそうです。良かったですね。

【横山裕の弟2人】次男は結婚・三男は税理士

横山裕さんは、母親の死後もしっかり弟たちの面倒を見ていて、大学や専門学校の学費も支払っていました。

父親違いとはいえ、2人の弟は大切な家族だったんですね。

記憶が戻った6歳下の次男・勤さんは、現在は結婚されているそうです。

勤さんは自身の結婚式で、父親代わりの兄横山裕さんに感謝の気持ちを伝えたんだとか。そのスピーチに横山さんは号泣したといいます。

実は、横山さんはサプライズで『家族になろうよ』をトランペットで演奏したのですが、直前に勤さんのスピーチで号泣し過ぎて、演奏をミスってしまいました。

多少の失敗はあったものの、勤さん夫婦もゲストも喜んでくれたのではないでしょうか。

家庭を持った次男勤さんの職業は明かされていません。

一方、8歳年下の三男充さんは、税理士という夢を叶え独り立ちしたそうです。

若くして母親を亡くした横山裕さんにとって、2人の弟さんはかけがえのない大切な家族ということですね。

横山裕の義父(継父)への思い

横山裕さんは義父の暴力や母親の死など、大変な時期を必死に乗り越えてきました。

横山さんはNHK『令和家族』の中で、義父(継父)に何年も会っていないことがずっと引っかかっていると語る反面・・・

癌になった母から離れ、子供たちに暴力を振るった義父に対して「今でも許せない部分があって」と、複雑な思いを抱えているそうです。

ただ、NHK『令和家族』の後半、里親の元で育った子どもたちと会話するうちに、横山さんの義父に対する心境にも変化が芽生えたといいます。

その後、横山裕さんが継父と対面したかどうかは明かされていません。

横山裕の壮絶な生い立ち【まとめ】

SUPER EIGHTのメンバー・横山裕さんの生い立ちを紹介しました。

一人っ子の裕福な家庭で育った横山さんでしたが、両親の離婚と母親の再婚で生活は一変。

再婚相手の男性は、実子ではない横山さんに辛く当たり、時には暴力を振るうこともありました。

やがて、母親と義父は離婚。癌を患った母が父親違いの弟2人を引き取りましたが、そんな母も50歳の若さで逝去します。

母の亡き後、弟と一緒に暮らして学費や生活費を一人でみていた横山裕さん。そんな弟2人も立派に成長し独立しました。

壮絶な生い立ちを背負いながらも、明るく前向きな横山裕さんの幸せを願わずにはいられませんね。

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