2019年12月にテコンドー協会の会長を辞任した金原昇さん。協会内での独裁疑惑が浮上し、メディアや世間を賑わせました。
そんな騒動から6年が過ぎた2025年現在、金原昇元会長はどうしているのでしょうか?
噂では、不動産王として悠々自適の生活を送っていると囁かれています。
そこでここでは、金原昇元会長にまつわる
- 経歴や国籍は
- 現在は松本市で不動産会社&パブを経営
- トレードマークの髪型は?
- テコンドー問題なぜ?
について詳しく紹介します。ぜひ最後までご覧ください。
金原昇元会長の経歴!出身地と家族について

金原昇元会長は1954年生まれで、2025年現在の年齢は71歳。出身地は長野県松本市です。
中学時代は野球、高校時代は柔道に熱中。社会人になってから空手団体に選手として所属していた時期もありますが、テコンドーの経験はなかったようでした。
父親は土木作業員で母親は幼少期に他界。実家は貧しく若い頃に東京へ上京して、喫茶店のボーイなどの仕事をしていたこともあるそうです。
喫茶店で様ざまな方と出会い、金原さんは金融業のノウハウを覚えたといいます。
金原昇の国籍は韓国?
金原昇元会長の国籍について気にしている人も少なくないようです。
ネット上では、金原さんは「韓国人ではないか」と囁かれていましたし、一部の週刊誌が『在日一家』と報じた過去もありました。
おそらく、韓国人と言われる理由は、金原さんの苗字が関係している可能性も考えられます。
韓国や朝鮮の姓で最も多いのが「金(キム)」です。日本へ帰化する時、この「金」という漢字を残した日本名を作る方も多いようです。
そのような背景もあり、金原元会長に「韓国人説」が浮上したのではないでしょうか。
ただ、金原元会長が自身の国籍やルーツについて公式に明かした事実はありません。韓国人説は憶測の域を出ない噂話の1つです。
【2025現在】金原昇は松本市で不動産会社を経営

高校卒業後、一度は上京した金原昇さんでしたが、しばらくすると故郷の松本に戻り自ら事業を手掛けました。
金原さんが始めた仕事は金融業。このビジネスで成功を収め、不動産業や飲食業を展開していきます。
現在は不動産の賃貸業をメインに運営している金原さんの会社。松本駅から徒歩2分の場所にビル1棟を所有するなど、20以上の物件を所有しいるそうです。
なんと、年間の家賃収入は4億円。地元松本では「不動産王」と呼ばれていて、悠々自適な暮らしを送っているとされています。
もちろん、金原元会長のトレードマークである髪型『パンチパーマも健在』と報じられていました。
現在は娘さんが事業を継承したそうですが、父親の金原さんは今もなお現役で働き、毎日出社しているといいます。
金原昇はパブを経営!テコンドー教室で指導も
金原昇さんは出身地である松本市で、フィリピンパブやクラブも経営しているそうです。
全盛期には複数の飲食店を経営しておられたそうですが、2025年現在は規模を縮小し2店舗のみ。稼働しているパブやクラブの店名や場所などは公表されていません。
また、現在はテコンドー教室で子供たちの指導も行っている金原元会長。メインで活動しているのは息子さんで、父親の金原さんはボランティアとしてサポートしているようです。
スポーツを通して子供たちの育成に貢献したいと意欲をみせている金原元会長ですが、世間を騒がせたテコンドー問題はなぜ起きたのでしょうか?
金原昇元会長のテコンドー問題を詳しく
金原昇元会長の存在が世間に知れ渡ったのは2019年頃。全日本テコンドー協会とトップ選手たちとの対立が騒動に発展しました。
トップ選手28人中26人という大多数が「強化合宿をボイコットする」といった異例の事態がメディアで報じられます。
当時、テコンドー協会の会長に就任していたのが金原昇さんです。そんな金原会長にまつわる
- 反社会的勢力との繋がり
- 独裁疑惑
- モラハラ疑惑
もメディアで指摘されましたが、会長自身は反社会的勢力との関係を否定。
協会側は選手との協議会を開きましたが、双方の溝は深まるばかりだったそうです。
金原昇はテコンドー未経験者
金原昇さんは1990年代に、長野テコンドー協会の理事長に就任します。

かつて長野県の空手団体に属していたものの、テコンドーの経験はほぼない状態で、地元のテコンドー協会のトップに就任したんだそうです。
週刊誌の記事によると、かなりグレーな就任ルートだったとの報道も。ただ、真相は分かりませんし、憶測に過ぎない噂話でもありました。
そんな金原元会長の功績は2007年。
それまで分裂していたテコンドー団体をひとつにまとめ上げ、2005年に今の全日本テコンドー協会(統一組織)をつくり、2007年にJOC正加盟を成し遂げました。
バラバラだった組織の統一とJOC正加盟を推し進めた功績は大きく、今のテコンドー選手のオリンピック出場の道を切り開いたとも言えます。
元会長のテコンドー協会での経歴
金原元会長のテコンドー協会での経歴をまとめると次のようになります。
- 1990年代 長野テコンドー協会:理事長就任
- 2005年 全日本テコンドー協会:常務理事就任
- 2008年 全日本テコンドー協会:会長兼北京五輪強化委員長就任
- 2016年 全日本テコンドー協会:会長退任
- 2017年 全日本テコンドー協会:会長再任
金原元会長は2016年、理事会の決定で会長職を退任させられてしまうのですが、その後2017年に再任し再び会長職に就きました。
この時、会長の再任に賛成した理事たちが誰も理由をはっきりと伝えてくれない、という問題が指摘されたそうです。
情報共有が不十分だと、選手たちの健全性やモチベーションを低下させる原因に繋がるとされています。不透明な協会組織の在り方に、選手たちの不信感が募っていったのかもしれませんね。
国庫補助金の個人管理・返還問題
さらに、国庫補助金を金原会長が個人で管理しているという問題も取り沙汰され、JOCから3千万円の返還を求められたという報道もありました。
当時について元選手の証言も週刊文春が取り上げています。
選手に支払われるはずの補助金も金原会長が管理していたと思います。
合宿などの際、お金を受け取ったとする領収書をみんな訳も分からず書かされていた。
引用:週刊文春2019年10月3日号
金原会長の功績は大きいですが、様ざまな疑惑や問題が浮上し、連日メディアを賑わせました。

協会設立後のテコンドー選手の成績は振るわず、メダルが取れない時期が続いたことも問題視されたといいます。
2019年12月26日に開かれた全日本テコンドー協会の総会で、金原昇さんは正式に会長職を退任。その他の理事たちも退任したそうです。
金原昇元会長の現在【まとめ】
テコンドー協会の元会長、金原昇さんの経歴や国籍・テコンドー問題について紹介しました。
1990年代にテコンドー協会の理事長に就任して以降、約30年にわたり組織のトップに立っていた金原元会長。選手たちとの対立が表面化し、連日メディアを賑わせました。
トレードマークであるパンチパーマの髪型もインパクトを起こします。
会長を辞任した現在は、出身地である松本市で『不動産王』として名前を轟かせている様子。生涯現役を公言している金原昇さんは、地元の子供たちの育成に努め、ボランティアでテコンドーに関わっていました。
